帯広の歴史と 電信通りフォトストリート
電信通りには大小20か所ほど、大正昭和時代に撮影した懐かし風景を、建物や看板に設置しております。
本日より不定期で帯広の由来話を、設置した看板の風景を元に大正昭和を懐かしむ『帯広時間旅行』をお楽しみください。
ぼくが生まれる前の話もあるんだぞ~
帯広時間旅行 ①
開拓前の帯広
晩成社が入植する前の帯広はアイヌの人たちが川沿いに集落を作っていました。
狩猟と植物採取を中心に独自の文化を築いていました。
帯広の語源はオペレぺレケプ(川尻がいくつも裂けている所)と呼んでいたものが変化しました。
明治2年に明治政府は蝦夷地を北海道とし、十勝国と名付けました。
その頃日本は
日本は徳川慶喜が大政奉還をして、天皇へと変わり明治維新となりました。
鉄道が新橋から横浜まで開通するなど文明開化が起こりました。
散切り頭を叩いてみれば文明開化の音がするぞ~