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帯広時間旅行 ㉑

昭和43年5月16日 青森県東方沖で発生したマグニチュード7.9の地震が発生しました。 北海道から東北北部で揺れや津波の被害があり、52人死亡、330人が重軽傷を負いました。 皆、着の身着のまま外に出てきています。 その […]

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帯広時間旅行 ⑳

昭和30年代 広小路七夕まつり 露店商の集まりだった広小路商店街の近代化を目指し、毎日が歩行者天国の全蓋アーケードが作られました。 雨の心配をすることなく、七夕祭りは多くの人でにぎわっています。 帯広の七夕祭りは、昭和3 […]

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帯広時間旅行 ⑲

昭和30年代 帯広小学校スケートリンク 冬でも雪の少ない帯広はスケート王国です。 昭和34年に行われた国民体育大会は帯広市にとって初のスケート全国大会の誘致でした。 この頃はスケート靴も重く、氷も薄かったため割れてしまう […]

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帯広時間旅行 ⑱

昭和35年 西2条通り 石炭を運ぶ馬車と石油を運ぶ自動車もあり、また、バスも台数が増えています。 バイクに乗っている人もおり、移動や運搬の手段が変ってきています。 「藤丸」をはじめ、商店が軒を連ね、銀行なども見られます。 […]

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帯広時間旅行 ⑰

昭和30年代 帯広駅前 帯広駅前はまだ、道路が舗装されておらず、水たまりも多くできています。 多くの人は長靴をはいており、自転車を利用する人が多いです。 その中で、十勝バスでしょうか? 市民の足となる、ボンネットバスが走 […]

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帯広時間旅行 ⑯

昭和33年 踏切 (西5条南10丁目) 昭和30年代は、まだ、馬車や馬そりが多くいました。 駅に着いた荷物や家庭から出たごみなどは馬が運んでいました。 馬に関わる商売も数多くありました。 馬が十勝の経済の一翼を担っていま […]

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帯広時間旅行 ⑮

昭和32年 川西・大正・帯広合併パレード 昭和25年から川西村稲田地区の帯広市編入運動が始まりました。 昭和31年9月に川西村が全村合併を議決し、昭和32年には大正村も合併を議決しました。 これにより、昭和32年4月1日 […]

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帯広時間旅行 ⑭

昭和30年代 西3条朝市 十勝は日本屈指の食料王国。 十勝の各地から、中心地帯広に行商が集まり、にぎやかに朝市が行われています。 品物が入った大きなかごからお客さんは品物を買っているようです。 リヤカーや三輪自動車もあり […]

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帯広時間旅行 ⑬

昭和31年 帯広駅前 十勝バス 大正15年3月1日に十勝自動車合資会社が設立され、昭和30年4月1日に「十勝バス」に社名変更されました。 この頃は現在のバスとは異なり、運転席よりエンジン部分が前に出ている、ボンネットバス […]

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帯広時間旅行 ⑫

昭和30年代 帯広駅前靴磨き 現在ではあまり見かけなくなった道端の靴磨き。 まだ、舗装道路が少なくあちこちに靴磨き職人がいて通行人の足元をきれいに磨いていました。 春の雪どけで泥だらけの靴もプロの技でピカピカになりました […]

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